個個塾の「ことば作文」(語彙力・国語力養成授業)を通して徒然@六地蔵教室

ブログをご覧の皆様こんにちは。

個個塾では月に1度「個個塾通信」「ココキッズ通信」を塾生のご家庭にお送りしています。

「ココキッズ通信」の方では科目授業ではない習い事(英会話・お習字・パズル速読など)の情報をお送りしておりますが

そこで掲載している「ことば作文」の内容の、本日は出張ブログとなります。

ことば作文は辞書引き学習を通して語彙力を身につけることと

表現したことを肯定されることによって自己表現をすること自体に前向きな気持ちになれるようにすること

を2つの軸としたことば学習の授業です(詳しくは各教室まで!)

昨今、英語教育が~、IT人材が~、ゆとりが~、と、

何かといわれている学ぶ現場の課題ですが、

学習において「言語」をツールとして使うかぎり、どうしてもことばの力は必要不可欠です。

言語を学習に用いないものも確かにありますが…

たとえばスポーツや、アートの世界などですかね。

ただそれでも「持って生まれた筋肉の使い方の理解」「経験と観察で覚えた技術」なんかは、

たとえばプレイヤーとして活躍するには極めてすばらしい、いわば「才能」「センス」と呼ばれるようなものでしょうが、

たとえばそれを、指導者として後継するとなると、「伝える力」つまり「言語化する能力」が必要です。「なんかこう、ぐっとして、タイミングみていけ」などという指示は、恵まれた人間、しかも本人だけしか理解ができないことです。

よいプレイヤーがよい指導者になるとは限らないといわれるのはこのあたりが原因でしょう。指導者になれなければ、たとえば現役引退後は「一般人」として収入を得る必要がありますため、なにか他に職能を身につけていれば別ですが、多くの協議では40歳以降にそれまでの経験を活かすことができなくなる=稼げなくなる、ということになります。(実際はもっといろいろあるでしょうが割愛)

人生が折り返しに差し掛かるにつれ、

子育てにせよ、後継の育成にせよ、

伝承することが必要になりますから、やはり表現する能力は必要不可欠だといえると思います。

こういう長い文章が、(この文章が面白いかはべつとして)するすると理解できるかできないかで、見える世界の景色も、持つ意見も、寄る辺となる価値観も、異なってくると思います。

 

とはいえ、どうやったらことばの力がつくのか…

特にこのブログにコミットするであろう親御さんたちは

「どうやったら【わが子に】国語力がつくのか…」

とお悩みの方もおられるでしょう。

手法はいろいろあると思いますが、

手っ取り早いのは、親御さんが子供の前で読書をすることです。

過去に書いたような気もしますが「うちの子本を読まなくて…」という心配をする親御さんが日常的に読書をされているケースは極めてレアです。

たまたま小学校や幼稚園が読書に力を入れていて、親の影響以上に学校の影響で読書する力を身につける子供は稀にいますが、

やはり共に過ごす時間の違いは大きいです。

かくいう私も今でこそ全く読書はしなくなりましたが、

「読もうと思えば大体読めるしわかる」のは、

幼少期に家族(のうちの一部)が書物に触れ続けているのを見ていたからだと思います。当時は本を読んでいた気もします笑

一方で、家族があまりしていなかったことは、当時もしていませんでしたし今でも苦手です。苦手というか、関心がないというか…。

共働きのご時世、そんなことしてる暇ない!というのが本音だとは思うのですが、であればもう国政をどうにかするか、日本を去るか、引っ越して極めて有力な読書学習をしている学校にお子様をいれるしか、

本を読む子にする

策はないのかもしれません。(極端な意見であることは自覚したうえで…)

世知辛いですね…。

 

最近、小野不由美さんの十二国記の新刊が十数年ぶりに発刊されました。

かつて中学生高校生時代にシリーズを読み漁っていた友人たちがこぞってツイッターでわいています。

時を超えて、常に文学が傍にあるという生き方に、私は憧憬を覚えます。

そして内容はなんであれ、子供たちの世界が広がるようにと祈るばかりです。

保護者の方にはなんの救いにもヒントにもならないかもしれないブログを書いてしまいましたが…こういう長文をひたすら書く力は養われましたし、

一方でもっと簡潔に親しみやすい文章を書く力までは、今のところ訓練ができておりません。子供らとともに、引きつづき学ぼうと思います。

乱文失礼いたしました。

来週は、教室状況をお届けする、スタンダードなブログにしますね笑

 

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